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共通感覚論 (岩波現代文庫 学術 1) 文庫 – 2000/1/14
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〈共通感覚〉と〈常識〉はいかに結びつくか
- ISBN-104006000014
- ISBN-13978-4006000011
- 出版社岩波書店
- 発売日2000/1/14
- 言語日本語
- 寸法10.5 x 3.9 x 14.8 cm
- 本の長さ398ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2000/1/14)
- 発売日 : 2000/1/14
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 398ページ
- ISBN-10 : 4006000014
- ISBN-13 : 978-4006000011
- 寸法 : 10.5 x 3.9 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 119,434位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 171位岩波現代文庫
- - 296位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 2,462位心理学の読みもの
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年3月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
西田幾多郎氏の場の哲学を引き継ぐ著者は、マルチモーダルに五感を発揮する共通感覚を、「場の約束事」を捉えることで説明した。たとえばデュシャンの泉は、美術展示に求める人の美的感覚を露わにする。共通感覚はアイダにあり、主語が述語に包摂されている、という西田氏の述語的論理へつなげる事を想定して本書を締めた。
2007年1月30日に日本でレビュー済み
どこも平凡で面白くない本だが、それだけでなく著者は肝心の「共通感覚」の意味を完全に誤解していたらしい。その後、専門家によって訂正がなされているので、簡単には、例えば、田島正樹『読む哲学事典』の「共通感覚と感覚質」の項目を読んでみるとよい。その後、ぜひ、アリストテレスの原典にあたって確かめいただきたい。ただに誤解であるというだけでなく、正しい解釈の方がずっと興味深い世界観を与えてくれるのがわかる。
2013年6月11日に日本でレビュー済み
アリストテレス哲学の用語であるギリシャ語の「センススコムニス」は、五感を統合する働きのことで、かつては脳の松果体がそれを司る部位だとされた。今の知識ではその部位は視床下部とされているはずだ。視覚(眼)が識別できるのは色と形だけであり、眼で奥行きを見ることはできない。我々がある視覚像に奥行きを感じているとしたら既に触覚の記憶を呼び覚まされているのだ。つまりセンススコムニスによって統合された後の世界を「見て」いるのであって、「眼だけ」で見ているのではない、ってことだ。五感を貫く共通の感覚ということで、これを「共通感覚」と訳す人もいた。注意したいのは、ここでは基本的に、個人の五感を統合する働きのことを呼んでいる、ということだ。センススコムニスを共通感覚と訳す場合、個人心理学的な意味合いなのだ。色々な人がいるのだからAさんの共通感覚とBさんのそれとでは違う。AさんもBさんも個性を持ってるはずだから、諸感覚の統合方法も「人それぞれ」だ。(もちろん、後述するように、同じ人間どうしだし、言葉も通じるのであれば、共通性も皆無ではなかろう)
いっぽう英語のコモンセンスは、センススコムニスを語源としているが、こんにち多くの人がよく使う「常識」という語の意味に転じた。コモンは共通、センスは感覚を意味するから、こちらも「共通感覚」と呼べる。色々な人たちに共通なセンスという意味で、こちらは社会心理学的な意味合いだ。同じ社会に住むAさんの常識とBさんの常識は同じだ。
本書は、語源を同じくするセンススコムニス(五感の統合機能)とコモンセンス(常識)を綜合する方向で、両概念を吟味していくのだが、結局、「共通感覚」とは前者なのか後者なのか、はたまた両者の積集合的領域(センススコムニスでかつコモンセンスであるような事象群)なのか、本書の刊行後の世間で用法が統一されたわけではないので、誰かが共通感覚と言うとき、どの意味で言っているのかをその都度文脈から判断しなくてはならない。ただ、本書が出た後では、やはり三番目の「積集合的領域」こそが第一義(辞書で冒頭に来る意味)であるべきと思う。積集合的ということをちょっと説明させてもらうと、次のようになる。センススコムニスとは個人に属するものだから人によって様々に違うがその一方で、ある社会が、皆てんでバラバラの方向を向いて収拾のつかなくなっているカオスではなく、そこで何らかの秩序が保たれているとしたら、その社会の各構成員どうしのセンススコムニスの間に何らかの共有部分があるといえる。その共有部分を「常識(コモンセンス)としてのセンススコムニス」と呼べる。常識であって、かつ、センススコムニスであるような領域が、中村が示した共通感覚だ。Xという集合とYという集合の重なりあう領域を積集合と呼ぶ。Xがセンススコムニス、Yがコモンセンスのときに積集合になる部分だけを共通感覚と呼ぶことにする。積集合的というのはそういう意味だ。
その積集合的領域の第一義化の流れを促進すべく、混乱を避けるために、センススコムニスを共通感覚と呼ぶのを止めて、「統覚」と呼ぶことにしよう。統覚とは既存の語で、ライプニッツやカントの哲学用語であり、ブント心理学の用語でもあるが、辞書で引いても抽象的すぎて何を言ってるのかよく分からない。本書の著者中村は、西田哲学についての講演で、センススコムニス(=アリストテレス的な意味の共通感覚)はカント的統覚に近いと言っているがどうだろうか。「統覚」の字面だけみても「視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚などの諸感覚を統合すること。あるいは、それらが統合された複合的感覚」みたいな意味に読める。まさに文字通りのセンススコムニスってやつだ。むしろこれこそが「統覚」の第一義であるべきとも見える。実際、私はこの言葉を知ったとき、センススコムニスと同じような意味であることを期待して辞書を引いたのだが、どうとでも解釈できるような漠然とした抽象語の羅列なのでがっかりした。
センススコムニスを、カント的統覚、ライプニッツ的統覚、ブント的統覚に肩を並べる「ナカムラ的統覚」としてしまえばよいと思う。つまり、中村哲学の文脈では、センススコムニス・イコール・統覚でいいのだ。そして、コモンセンス・イコール・常識である。で、「共通感覚」とは統覚であってかつ常識であるような領域のことだけを指すことにする。少なくとも、私は、これ以降、そういう意味でのみ共通感覚という言葉を使うことにする。私の筆名が寅寅ネットワークだから、寅寅的共通感覚だ。
中村による本書は、私をそのように導くに十分な書であった。
いっぽう英語のコモンセンスは、センススコムニスを語源としているが、こんにち多くの人がよく使う「常識」という語の意味に転じた。コモンは共通、センスは感覚を意味するから、こちらも「共通感覚」と呼べる。色々な人たちに共通なセンスという意味で、こちらは社会心理学的な意味合いだ。同じ社会に住むAさんの常識とBさんの常識は同じだ。
本書は、語源を同じくするセンススコムニス(五感の統合機能)とコモンセンス(常識)を綜合する方向で、両概念を吟味していくのだが、結局、「共通感覚」とは前者なのか後者なのか、はたまた両者の積集合的領域(センススコムニスでかつコモンセンスであるような事象群)なのか、本書の刊行後の世間で用法が統一されたわけではないので、誰かが共通感覚と言うとき、どの意味で言っているのかをその都度文脈から判断しなくてはならない。ただ、本書が出た後では、やはり三番目の「積集合的領域」こそが第一義(辞書で冒頭に来る意味)であるべきと思う。積集合的ということをちょっと説明させてもらうと、次のようになる。センススコムニスとは個人に属するものだから人によって様々に違うがその一方で、ある社会が、皆てんでバラバラの方向を向いて収拾のつかなくなっているカオスではなく、そこで何らかの秩序が保たれているとしたら、その社会の各構成員どうしのセンススコムニスの間に何らかの共有部分があるといえる。その共有部分を「常識(コモンセンス)としてのセンススコムニス」と呼べる。常識であって、かつ、センススコムニスであるような領域が、中村が示した共通感覚だ。Xという集合とYという集合の重なりあう領域を積集合と呼ぶ。Xがセンススコムニス、Yがコモンセンスのときに積集合になる部分だけを共通感覚と呼ぶことにする。積集合的というのはそういう意味だ。
その積集合的領域の第一義化の流れを促進すべく、混乱を避けるために、センススコムニスを共通感覚と呼ぶのを止めて、「統覚」と呼ぶことにしよう。統覚とは既存の語で、ライプニッツやカントの哲学用語であり、ブント心理学の用語でもあるが、辞書で引いても抽象的すぎて何を言ってるのかよく分からない。本書の著者中村は、西田哲学についての講演で、センススコムニス(=アリストテレス的な意味の共通感覚)はカント的統覚に近いと言っているがどうだろうか。「統覚」の字面だけみても「視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚などの諸感覚を統合すること。あるいは、それらが統合された複合的感覚」みたいな意味に読める。まさに文字通りのセンススコムニスってやつだ。むしろこれこそが「統覚」の第一義であるべきとも見える。実際、私はこの言葉を知ったとき、センススコムニスと同じような意味であることを期待して辞書を引いたのだが、どうとでも解釈できるような漠然とした抽象語の羅列なのでがっかりした。
センススコムニスを、カント的統覚、ライプニッツ的統覚、ブント的統覚に肩を並べる「ナカムラ的統覚」としてしまえばよいと思う。つまり、中村哲学の文脈では、センススコムニス・イコール・統覚でいいのだ。そして、コモンセンス・イコール・常識である。で、「共通感覚」とは統覚であってかつ常識であるような領域のことだけを指すことにする。少なくとも、私は、これ以降、そういう意味でのみ共通感覚という言葉を使うことにする。私の筆名が寅寅ネットワークだから、寅寅的共通感覚だ。
中村による本書は、私をそのように導くに十分な書であった。
2004年7月18日に日本でレビュー済み
もう20年程まえ、80年代に著者が「魔女ランダ考」等で、一躍注目を
あびたころにはじめてよみました。
今回、文庫化を機に再読してみました。
誰もが使っていながら由緒不明な「常識」について論を起こし、
センススコムニス、共通感覚と西洋哲学史に流れるベース音を丁寧に
拾い上げ跡付けていきます。そういう意味では、ある種の西洋哲学史
としてもよめます。修辞論やトポス論など、多彩なトピックスも交え
ながら、視覚優位になってしまった認識の基底へと静かに遡行してい
く様は、さながら哲学版「ミクロの決死圏」。
西洋哲学のタームに則りながらも、まぎれもなく日本人らしい観点を
感じさせ、テーマは違えど、九鬼の「いきの構造」にも比される優れた
論考だと思います。
あびたころにはじめてよみました。
今回、文庫化を機に再読してみました。
誰もが使っていながら由緒不明な「常識」について論を起こし、
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拾い上げ跡付けていきます。そういう意味では、ある種の西洋哲学史
としてもよめます。修辞論やトポス論など、多彩なトピックスも交え
ながら、視覚優位になってしまった認識の基底へと静かに遡行してい
く様は、さながら哲学版「ミクロの決死圏」。
西洋哲学のタームに則りながらも、まぎれもなく日本人らしい観点を
感じさせ、テーマは違えど、九鬼の「いきの構造」にも比される優れた
論考だと思います。
2006年1月24日に日本でレビュー済み
中村哲学の持つオーソドックスさについては、小生のレヴュー『哲学の現在』において触れたが、それが非常に表れ、生かされているのが本書ではなかろうか。そしてこの共通感覚という場(トポス)の再発見と、現代においての再解釈とは、氏の中心的テーマの一つであるとともに、とりわけ、昨今において重大な意味を帯びてきていないだろうか。
さて本書において、氏は自由に飛ぶ鳥のごとく、哲学とその周囲の知見はもちろん、精神医学、生理学、芸術作品、果ては児童文学などまでをも用いて共通感覚について述べている。実に説得力豊かだ。ぜひ入手して検討して欲しい。文体が他の哲学者と比較して、やわらかいのも魅力だ。もし、「読みたいが入手が…」という方は、先に示した『哲学の現在』にも主張がまとめられている。
オリジナリティは確かに大切だ。しかし忘れられていた概念や作品を発掘することも、もっと大事にされてよい。そうでなければ、ショーペンハウアーはいまだ忘却の淵に沈み、バッハの作品もきっとほこりをかぶりつづけていることになる。それはちょっともったいない。
ともかく、内容、文体、意義、全部ひっくるめて、太鼓判。
さて本書において、氏は自由に飛ぶ鳥のごとく、哲学とその周囲の知見はもちろん、精神医学、生理学、芸術作品、果ては児童文学などまでをも用いて共通感覚について述べている。実に説得力豊かだ。ぜひ入手して検討して欲しい。文体が他の哲学者と比較して、やわらかいのも魅力だ。もし、「読みたいが入手が…」という方は、先に示した『哲学の現在』にも主張がまとめられている。
オリジナリティは確かに大切だ。しかし忘れられていた概念や作品を発掘することも、もっと大事にされてよい。そうでなければ、ショーペンハウアーはいまだ忘却の淵に沈み、バッハの作品もきっとほこりをかぶりつづけていることになる。それはちょっともったいない。
ともかく、内容、文体、意義、全部ひっくるめて、太鼓判。
2004年2月14日に日本でレビュー済み
常識をもっと、感覚的な面から探ったもので、アリストテレスらの共通感覚論
を再発見した傑作であると思う。中村雄二郎の思想がもっともっと評価されてもいいころだとおもう。
近年、常識というものを捉えなおすということを認知科学などでやられているが、共通感覚論をもう一度読み直してみるとよい。70年代最後に初めて出版されて結構たっているがその新鮮さは失われない。それは恐らく「常識」という問題が今もって解決していないということだ。養老孟司の「バカの壁」でも常識というものが結局問題となっていた。
また著者の今後の思想、臨床の知や汎リズム論への発展するもとにもなっていて色んなアイディアが散りばめられているいて読み直しても飽きない。
を再発見した傑作であると思う。中村雄二郎の思想がもっともっと評価されてもいいころだとおもう。
近年、常識というものを捉えなおすということを認知科学などでやられているが、共通感覚論をもう一度読み直してみるとよい。70年代最後に初めて出版されて結構たっているがその新鮮さは失われない。それは恐らく「常識」という問題が今もって解決していないということだ。養老孟司の「バカの壁」でも常識というものが結局問題となっていた。
また著者の今後の思想、臨床の知や汎リズム論への発展するもとにもなっていて色んなアイディアが散りばめられているいて読み直しても飽きない。